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自分を変えるための内観

人と比べない

子どもの不登校やひきこもりのことでカウンセラーさんに相談している場合、おそらく「まずお母さんが変わらないと」と教わっている人が多いと思います。
教わったのに今一歩進展がない、状況が変わらない、というのにはちゃんと理由があって、お母さん自身が自分のことを「なぜ?」と掘り下げて内観をしていないからです。
「なぜ」子どものことを受け入れられないのか、「なぜ」過干渉なのか。
これを深く考えるのは非常に辛い作業ですが、自分が変わる必要に気づいた以上、踏み込んでほしいところです。

では、その過干渉な親の特徴としてあげられるのは何かと考えてみると、「人と比べるクセがある」ということがいえると思います。
「人と比べた上でどうなりたいか」が自分のクセになっているので、そのことについて内観してみます。


まず、「比べる」にもパターンがあることに気づいてください。
①人より優位でいたい
②みんなと同じでいたい
③人より劣ることで注目されたい
と3つに分けられると思いますが、自分はどこに当てはまるでしょうか。

人と比較することで自分のポジションを確認して優越感や劣等感を感じ、それにより「注目されたい」、「大事に扱われたい」という感覚は、わりとわかりやすいかもしれません。
①の人より秀でることで優位に立ち、チヤホヤされたいタイプと、③の人より劣っていることをアピールし、かわいそうと思われることで丁寧に扱われたいタイプは、もとは同じコインの表と裏の関係です。
どっちにしても特別に扱われたいのです。

しかし、②の「普通」であろうとすることも、深〜く考えれば「差別意識」が根本にあることに気づくと思います。
「普通」「みんなと同じ」であろうとすることは「普通でない」「みんなと違う」ことを排除しているから芽生える感覚だからです。
(普通で良かった!)とホッと感じてしまうことは、実は普通じゃないことをイヤだとか、かわいそうとか、困ったことだとか思っていて、「普通以外は受け入れられない」と差別していることにつながるのです。

子どもの本や歌詞などで「何番でもいい」「オンリーワン」「みんな違ってみんないい」と聞くと(そうよねー)としみじみ思い、子どもには「誰にでも優しくできる子に育ってね」などと言いながら、普通であることを強いるのは、本当はものすごく矛盾していることなのです。

敏感な子どもは親のそういう根本にある差別意識を感じていますし、自分が普通になれないことも感じています。
そのため思春期ブルーに突入してしまったST気質の子は評価されることを極端に嫌がるのです。
そして普通でない自分のことをものすごく責めて苦しんでいます。

「普通が一番」と感じていた親自身の「人類はみな平等」という感覚が、実はうわべだけのニセモノで、根底に差別意識があることを認めるのは大変ショッキングなことなので、なかなかできることではありません。
しかしここを認めると、スルスルと次のこと、その次のことに気づくことができると思います。

「人と比べない」ということは、「人間とは誰もが平等で対等である」の意味を真に理解することにつながります。
成績が優秀だとか悪いとか、運動が得意だとか不得意だとか、容姿がどうだとか、職業がどうだとか、障害があるとか、病気があるだとか、そういうことで人に優劣をつけてはいけないと子どもに知ってほしかったら、まず自分が実践しなくてはいけませんね。
常に心の中で(私は何と比べてるの?比べてどうしたいの?)と問いかけてみることです。

傲慢さと決別する

思春期ブルーの暗闇に迷い込み、不登校やひきこもりとなっている子どもの親が、自分の理想とする地位(優位である、普通である、または劣っている)を確立するために、子どもに自分の価値観を押し付けるのは、子ども本来の姿を認めずに、子どもを変えようとしている行為です。

子どもの前に自分の理想のレールを敷いて、そこからはみ出すことを許さず、コントロールしようとする。
これは過干渉な行為そのもの。
こうした行為は深く掘り下げて考えると、「自分が正しくて、子どもは間違っている」と決めつけていることと同じです。
なので、おそらく職場などで他人に同じことをしようものなら、即座にパワハラだと言われるような行為なのです。

他人に自分の価値観を押しつけるのは、自分は変わる必要がないと心の底で思っている証拠であり、相手にだけ変化を求めている「傲慢さ」の現れとなります。
「子どものため」と言えば愛情深い言葉に聞こえますが、相手が他人でも身内でも実は同じこと。
本質は比較から生じる理想の押し付けです。
根底にある「自分のため」の傲慢さに気づくと、自分自身の価値観とはそんなものだったのかと驚きます。

なんでも自分の思い通りにならないと気が済まないのは、ニュースになるような会社レベル、政党レベル、国レベルのように規模が大きくなったり、個人のことでも犯罪として取り上げられるととてもわかりやすいのですが、実際は一番身近な、自分自身の中にもあるものです。
傲慢さとは、誰もが持っていて、生きている以上、みなが向き合うべき課題だと思います。
壮大な話になってしまいますが、実は一人一人が内観を通して気づくことがとても重要なのです。

この傲慢さに気づくと(この思いは、自分の思い通りにしたいだけなの?自分は間違っているの?)と自らに問いかけ、謙虚さを身につけることにつながると思います。
そしてその謙虚さが、自分を客観的に冷静に見つめる力になっていくのではないでしょうか。

怖れを手放す

なぜ人には他人と比較したり、人を思い通りにしようする傲慢な気持ちがあるのでしょうか?
もう一段階深く掘り下げて考えてみます。

それは、「こうでなければならない」という思いがあるからなんだそうです。
「価値観」といわれたり、「理想」といわれたり、「枠」といわれたりすると思います。

ちょっと難解なのですが説明してみますと、「こうでなければ」という思いを別の表現にすると、「こうなりたい」と願うことであり、現状は「まだなっていない」状態です。
もう少しかみ砕いて説明すると、本来の実力以上、身の丈以上のことを「手に入れようともがいている状態」なのだそうです。
もしくは、最盛期を過ぎているのに「失いたくない」としがみ付いている状態であり、こちらも実際は「今はないことを手に入れようともがいている」ことになります。

つまり、「こうでなければ」と願う根底には、実際には「持っていないものを守りたい」、または「持っていないものを失いたくない」という「怖れ」があるのです。
そしてこの「怖れ」を手放して離れることが、心の平安や幸せにつながるのだそうです。

幸せになるためには「あるがままを受け入れること」とよく言われますが、その中身にはこうした「ないものを求める怖れを手放して」という前程があるのだと思います。

この「怖れを手放す」とは、自分の価値観へのこだわりから離れることであり、宗教の教えやスピリチュアルな学び、哲学的なレベルの話で、いかに生きるべきか、お坊さんが修行でするようなことを、私たちは日常生活を通して学ぶわけです。

なぜ子どもの不登校やひきこもりからこんな修行レベルのことを考えなければならないのか、と感じる方には向いていない方法だとは思いますが、自分が変わる必要を感じている方には遠回りせずダイレクトに目的を達成できる方法だと思います。

なにぶん、子どもはST気質のためこだわりが強く、親の方もこだわりを持ってぶつかり合っていたら、一向に解決しないからです。
ここは大人として、自分が先に譲る「勇気」が必要になってくるのです。

私自身は、「人と比べないこと」「傲慢さと決別すること」「怖れを手放すこと」の3つは、「目指してみようかな」と思うくらいでも十分だと思います。
たぶん、この3つのことが完ぺきにできたら、その人はもう人間である必要がないからです。
それができたらもう神レベルですもの。

ですから、迷ったら何度でもここに立ち返ればいい。
知らないでいるより知っていた方がいい。
投げ出すよりはあきらめないで目指す方がいい。
ということだと思います。

ここまで読み進んできて、内観により自分の課題がわかったならば、次からは自分の脳グセとのたたかいがスタートします。



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